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【亞】の玉手箱2

【亞】の玉手箱2

天才的詐欺師!?!~サンジョルディ顛末記

『サン・ジョルディの日』日本導入顛末記1~5の続きです。
※二十年以上前、新聞に連載したエッセイを加筆修正したものです。


4月23日は『サン・ジョルディの日』!
~女性は愛する男性に本を贈り、男性は愛する女性に赤い薔薇の花を贈る~
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 6.情報提供者を本気にさせる!


1985年2月末。
バルセロナへ飛んだ。
私の初めての外国旅行である。



本澤健太郎氏、大阪出身、バルセロナ在住。
もし彼の存在がなかったら、
日本での“サン・ジョルディの日”は
実現しなかったと、断言できる。



先ず、そもそもの情報提供者である。
その彼は、
「実現できたら面白い! いつでも来てください」
と言ったくせに、本気にしていなかった。
バルセロナに着いた私を見ても、観光に来ただけと思った。
  


本気で実現させようとしていることを 
信じてもらうのに、なんと3時間もかかった・・・


が、いったん本気だとわかった途端にその場に立ち上がり、
 
「よし! 実現させよう!!」

と叫んだ。
興奮して顔が真っ赤になり目がギラギラしてた。
一日目の真夜中だった。
  
  
翌朝から毎日、本澤氏の仕事(翻訳・通訳)を調整しながら
観光局、商業局、文化局、伝統文化局…と、精力的に回った。
だが、それぞれ担当者が「いい話だ」と言ってくれるだけ。



決定打がなかった。
時間が残されていない。
疲労と焦燥感が出始めた。




7.ツキの女神に感謝!首相の秘書官登場!

 
どうやらツキの女神がついていてくれたようだ。



5日目、最後に回った広報局でのこと。
たまたま通りかかったプジョール首相の秘書官が興味を見せ、 
詳しく聞きたいからと自分の部屋に案内してくれた。



10分ほど私が説明していたら秘書官の表情が変わった。
そして遠くを見るようなまなざしと沈黙の後、
じっと私を見つめて、静かに「本気なのか」と訊ねてきた。
本気だと答えたら



「「素晴らしい話だ。実現に向けて全面的に協力する」と確約した。

 

首相秘書官は
「日本でのサン・ジョルディの日を是非とも実現させましょう。
 2ヵ月後の4月23日当日に是非ともいらしてください」
と言ってくれた。
 


これで今回、スペインに足を運んだ成果を得たわけだが、
まだ大切なことがある。
さらに秘書官に以下の要求を出した。


1)協会にサン・ジョルディの日の招待状を正式に発行する
2)当日、協会のメンバーがプジョール首相に謁見する
3)協会の名誉顧問に首相夫人のマルタさんが着任する
  (夫人は花屋の経営者である)



これらは全て受け入れられた。



小説みたいな話だが、事実はまさに小説よりも奇なり、
いま当時を振り返っても信じられないほどだ。

 

しかしこれで終わったわけではない。
ようやくスタート地点に立っただけである。


 
帰国後、準備委員会から晴れて正式な
「日本カタルーニャ友好親善協会」となり、
4月に再びスペインに向かった。


カタルーニャ政府からのインビテーション(招待状)を手に、
私と谷社長、そしてスペイン語が堪能な社員、津坂さんの三人が、
友好親善協会の幹部としてサンジョルディの現地視察に旅立った…。




8.天才的「詐欺師」!? (1985年4月)


カタルニア政府から正式のインビテーションを受けての
スペインへの訪問だったが、決してスンナリと進んだわけでない。


 
ここまでこぎつけることさえ、奇跡に近い進展があったのだから、
これから先もこれまで同様に順調に進むわけがない。
われわれ三人の旅は弥次喜多まがいの珍道中であった。

 

さて、スペイン空港に無事到着したので、、
飛行機から降りて、空港ビルに足を運んだ。

 

私は、つい二ヶ月前にスペインに入国したばかりである。
そのときが、生まれて初めての海外旅行だったとはいえ、
一応は経験者である。
余裕のある慣れた仕草で、サッサと入国検査と税関を通過した。
 


で、晴れてスペインの地に足を踏み出すまでは良かったが、
後の二人、広告代理店 新東通信の谷社長と、
スペイン語に堪能な中堅社員、津坂氏の姿が見あたらない。


 
どうしたんだろう。
ま、彼らは私と違って海外旅行に慣れているし、
社員はスペイン語が話せるのだから、心配はいらないか…。


と、脳天気に構えていた。
しかし、待てど暮らせど二人は現れない。
30分経ったので、さすがに心配になる。
今来た道すじを逆行して戻ると、
ポツンと立ちつくしている日本人の二人連れの姿が目に入った。


 
どうしたんですか。 と、彼らに尋ねた。
 


「あ、いたんだ」と谷社長は半ば泣き顔で私を見つめる。
社員の津坂さんもほっと安堵のため息をついた。

 

「オレは、ハメられたと思ったんだ。
 あの女、我々をスペインくんだりまで連れてきて姿を消した。
 はは~ん、日本から高飛びするのにオレ達を利用したな。
 どうりで…話がうますぎると思ってた。



 サンジョルディなんて、初めっからなかったんじゃないのか。



 本当はあの女はとんでもない詐欺師で…しかし、全部ウソの
 作り話にしては出来すぎてるしな…天才詐欺師か…
 もし詐欺師だったとしたら、いったい何が目的なんだろう。
 オレも焼きが回ったな…、そう思っていたんだ」




と谷社長がマジな顔で呟いた。
 


かれらの横では手荷物カウンターがクルクルと回っており、
一つだけ見慣れた旅行鞄が乗っていた。
 


あ、私のカバンだ!?


やっと状況が理解できた。




9.プジョール首相に謁見!(1985年4月23日)


空港に到着するや手荷物も受け取らないで姿を消した女を
「もしかしたら稀代の詐欺師」だと疑ったとしても仕方がない。
 


谷社長は笑って

「ま、サンジョルディがたとえ無くても、あることにして
 日本でイベントをやるかって、話してたんだ」


と半ば本気でおそろしい事を口にする。


「ちょっと待ってよ、それこそ詐欺じゃない」と私。
誰もいない空港で、三人が大笑いした。


バルセロナで
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サンジョルディの当日、
カタルーニヤ中で赤い薔薇の花と青い麦の穂が見事に装飾され、
祝祭でにぎわうバルセロナの人々は
老いも若きも本とバラを互いに交換しあっていた。

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正装したわれわれはセレモニーの後、約束どおり首相に謁見でき、
花屋の経営者でもある首相夫人に日本カタルーニャ友好親善協会の
名誉顧問就任の依頼も聞き入れられた。
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日本側としては、
バルセロナに友好親善協会の駐在事務所を置くことした。


ミロの親友がオーナーの店で
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さて、これからが正念場である。
とにかく翌年には「サンジョルデイの日」を
日本でスタートさせなければならない。



※別記として※
謁見当日の朝、晴れ渡った青空の下で 
津坂氏のパスポート・財布・クレジットカードその他を
土地のスリ・イカサマ師グループに
掏(す)られるという ハプニングに遭った。
  


津坂氏は 1989年から1992年にかけての4年間
協会のバルセロナ出張所に 単身赴任した。
現在は退社して、晴耕雨読の毎日である。




 10.流石!プロの仕事師たち


帰国してすぐの5月のある日、
横浜は有隣堂の社長、故松信泰輔氏に出逢ったことで、急展開した。
松信氏は当時の日本書店組合連合会会長。
松信氏の妹、非常に勘の鋭い篠崎孝子有隣堂専務の導きだった。


卓抜した先見性と洞察力を持つ松信氏は、ふだんから絶えず、
活字文化の復活、復権、活字離れをどう防ぐか、
出版文化の危機・・・などを考えていた。


一瞬にして全体像をつかんだ松信氏の
強力なリーダーシップの下で中央・地方を含めて
何十回となく会議を重ね、骨組みが出来上がっていった。


スペインの空港で私を「詐欺師」と疑った谷社長だったが、
帰国後の八面六臂の大活躍振りには目を見張らされた。


谷社長の卓越した情報収集力と智略縦横な判断のもとで、
私も一緒に東奔西走した。

駆けるシャーマン、毎日新聞

その日、愛に染まるカタルーニヤ、中部讀賣新聞

「サン・ジョルディの日」日本に根づけ、中日新聞
※その他多数のマスコミ媒体の取材。



書店業界と生花業界、外務省や文部省、農林水産省、
通産省、その他の役所関係や行政、地域商店街、
そして経済界や文化人への働きかけ…など。




そのひとつひとつの場面で臨機応変にこなしていく
谷社長の能力は流石であった。
素晴らしい人々との出会いも会った。
数年分の修行をたった一年で体験できたような気がする。



☆後になれば笑い話だが、
日本の「サンジョルディの日」が実現する半年前のこと。
1985年の秋、プジョール首相と通産大臣が来日した。

左から谷さん、松信さん、亞、プジョール首相、通産大臣、マルタ首相夫人、スペイン大使
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東京のスペイン大使館の歓迎レセプションのディナーで
隣の席に座っていたカタルーニャの通産大臣に
来年、日本でサンジョルディの日を開催することを話した。


大臣は一瞬、怪訝な表情を浮かべた後、ニャッと笑い、

「そうか、何処かの小さな町で本とバラの交換をするんだね」と言った。

「いいえ。日本全国の七つの都市で。」と答えても、

キョトンとして、まったく信じてもらえなかった・・・(笑)





 11.日本で初めての「サン・ジョルディの日」が実現!


翌年、日本ではじめての「サン・ジョルディの日」がスタートした。
1986年4月23日直前の土、日曜である19、20日。
全国七つの都市(札幌・仙台・東京・横浜・名古屋・大阪・福岡)
の公共広場でイベントを2日間にわたり展開。


日本カタルーニャ友好親善協会、日本書店組合連合会が主催。


日本書籍出版協会、日本雑誌協会、日本出版取次協会、
読書推進運動協議会、日本図書普及などが協賛。
日本生花商協会、JFTDは、後援。


外務省、農林水産省、通産省、文部省、駐日スペイン大使館、
スペイン・カタルーニャ地方自治体が、後援。




主催者の招きでカタルーニャからやって来た、
身の丈4メートルもあるヒガンテス(巨大人形)四体が、
ひなびた笛と太鼓の楽隊の先頭で練り歩いて人気を呼んだ。



日本の「愛のサンジョルディ」のイベントを
カタルーニャのテレビ局が取材に来ており、
七つの都市で収録したものを一時間番組にして
カタルーニャで放映したが、物凄い反響があったという。



4月23日当日、カタルーニャのサクラダ・ファミリアから
歴史上はじめてという衛星中継が行なわれ、
財津和夫をリーダーとするチューリップが出演、
キャンペーンのイメージソングである
“くちづけのネックレス”が日本のテレビで放送されるなど、
業界はじまって以来の大規模な取組みとなった。




 12.‘92年オリンピックはバルセロナで開催
    日本の功績が評価され「世界本の日」に!



しかし、白状すると私は、サン・ジョルディの産みの親だが、
この新生児を育てなかった。薄情な母親である。

 
サンジョルディの日を、
ここまで育ててくれた“育ての父親”達がいたからこそ、
イベントとして根付いたに違いない。


 
そして無論、私の予見したとおり
‘92年オリンピックはバルセロナで開催された。



10年後の1996年、日本での功績が評価されて
4月23日を"世界本の日"として、ユネスコに指定された。





☆20周年'05.4
森川美穂さんと亞
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サンジョルディ他 016.jpg

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☆谷喜久郎さんがスペイン国王より
「アルフォンソ十世勲章エンコミエンダ章」を賜った。
2006年11月16日に、在京スペイン大使館にてセレモニー。

ミゲル・アンヘル・カリエド大使から勲章を受けた。
谷さん、スペイン国王から叙勲.gif

ミゲル・アンヘル・カリエド大使と
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谷さんと
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一番左が林屋永吉 元スペイン大使ご夫妻
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☆2016年谷喜久郎さんがスペイン・カタルーニャ州政府からサン・ジョルディ十字勲章と春の叙勲で旭日双光章をW叙勲。
 
日本で32年目は4/23当日に各地でイベントが開催。
名古屋はテレビ塔1Fタワースクエアです。
12:45から15分ほどスピーチをさせて頂きます。
(終了後、別エリアでサイン会。既に購入された本もOK~♪)

4月23日は『サン・ジョルディの日』!
~女性は愛する男性に本を贈り、男性は愛する女性に花を贈る~

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